概要
教育は、開発と成長の根幹である。教育アクセスは、世界人権宣言と国連子どもの権利条約に謳われている基本的人権であり、開発への戦略的投資でもある。保健状況改善や農業の革新からインフラ整備、民間セクターの発展まで、他のすべての分野の開発成果は、人の心によってもたらすことができる。途上国がこうした恩恵をフルに確保するには、世界で蓄積されたアイデアの数々から学ぶにせよ、イノベーションを通じてにせよ、人の心の潜在性を解き放つ必要がある。その際、ほかの何よりも優れたツールとなるのが教育である。
「教育セクター戦略2020」には、今後10年間に途上国で「すべての人々に学習の機会を」確保するという世界銀行グループのアジェンダが掲げられている。最も重要な目標は、学校教育の形を整えることだけでなく、確実な学習成果を上げることだ。すでに、新たに数百万人の子どもたちを就学させるという点では、かなりの実績が上がっている。世界銀行グループはこの進歩を足がかりに、すべての国々が万人のための教育(EFA)と教育関連のミレニアム開発目標(MDGs)を達成できるよう、支援を拡大していく。ただし、最終的に開発の原動力となるのは、学校であるかどうかに係らず、幼少期から社会人になった後も、個人が何を学ぶかである。世銀のこの新たな10か年戦略は、国レベルでの教育システム改革の推進や、こうした改革を導くだけの強固な国際的知見の基盤を構築することにより、より広義に「すべての人々に学習の機会を」確保することを目指している。
今なぜ新戦略か?
世銀グループは、過去49年間に世界各地で教育の発展に大きく貢献してきた。1962年のチュニジア中等学校建設プロジェクトを皮切りに、世銀は世界で1,500件以上のプロジェクトに対し690億ドルを投資してきた。教育分野に対する世銀の財政支援は、MDGsが設定されてからの10年間で膨らみ、2010年には50億ドルを上回った。国際金融公社(IFC)は、教育セクターに着目し始めた2001年以降、民間セクターによる46件の教育プロジェクトに5億ドルを投資してきた。
この間、教育分野では、特に児童の就学率向上と中退率低下、男女間格差の解消などで大きな進歩が見られた。10年前と比べ、途上国では、教育・開発政策の有効性が高まり、国の継続的投資が功を奏し、就学していない子どもの数は大幅に減少した。初等学校に通う年齢でありながら就学していない子どもの数は1999年の1億600万人から2008年には6800万人に減少した。最貧国においてさえ、初等学校レベルの平均就学率は80%を上回り、修了率も60%を超えている。1991-2007年の間に、初等・中等学校における女子の男子に対する割合は84%から96%に増え、中東・北アフリカ地域と南アジア地域ではさらに目覚しい成果が上がっている。この進歩には、政府、シビルソサエティ組織(CSOs)、コミュニティ、民間企業が、校舎の新築と過去にない規模での教師の採用を通じて貢献している。世界銀行グループはこうした努力を、資金提供や技術協力のみならず、アイデアの提供を通じて支援している。
初等学校に通う年齢でありながら就学していない子どもの数が、 |
だが、世界の情勢が変化する中、こうした成功により新たな課題が浮上している。就学していない子どもの数は未だ数億人 に上り、教育関連のMDGs達成に向けた取組みは今後も続けなければならない。アクセス改善はまた、教育の質向上と学習促進という課題にも光を当てた。さらに、世界の教育環境は変化を続けている。そのひとつに人口動態の変化がある。低出生率により人口構成が、多くの低所得国に典型的な、若年層の比率が高い状況から、中所得国に多い「若年層過多」にシフトしつつあり、かつ都市部への集中が進んでいる。同時に、新たな中所得国の急増により、多くの国々が優秀な熟練労働者の数を増やして競争力を高めることを切望するようになっている。もうひとつは技術面の変化だ。情報通信技術(ICT)などの目覚しい進歩により、学習促進や教育システムのより良い管理といった機会が開ける一方で、労働市場の求める職務内容やスキルも変わってきている。
こうした展開を背景に、世界銀行グループは今後10年間のための新たな教育戦略の策定を迫られている。もちろん世銀グループも、2000年に最後の戦略を採択して以来、手をこまねいてきたわけではない。業務の分散化を通じて支援対象国との距離を縮めてきた結果、今や各国事務所で働く職員の割合は40%に達する。また、成果の評価や重視を強化すると共に、プログラムの効果をより正確に評価するために投資してきた。その際に、大きな役割を果たしたのが教育セクターである。世銀はまた、財務面でも、セクター全般にわたるファイナンスや資金プール、成果重視のツールといったアプローチの一層の活用を通じてイノベーションを図ってきた。さらに、教育分野における民間セクターの役割拡大も認識し、IFCに保健・教育部門を設立した。この新教育戦略は、新たな目標を設定し、同時に戦略的方向性とその実行のためのツールを提示することにより、こうした変化を足がかりにさらに歩みを進めようというものである。この教育戦略は、貧困層・脆弱層の重視、成長の機会創出、国際的な協調行動の促進、ガバナンスの強化という、危機後の方向性として世銀グループの戦略に示された主たる優先課題を支援・実行する。
アクセス改善はまた、教育の質向上と学習促進という課題にも |
目標:すべての人々に学習の機会を-学校教育を超えて
新戦略は学習に焦点を絞っているが、これには明快な理由がある。成長、開発、貧困削減のいずれにとっても、学校教育を何年間受けたかではなく、獲得した知識やスキルが重要だからだ。個人のレベルでは、学位があれば雇用の道は開けるかもしれないが、生産性の高さや、新しいテクノロジー・機会に適応できるかどうかを左右するのは労働者のスキルだ。さらに知識とスキルは、個人が健全で教養ある家族の一員として市民生活を送る能力も高める。社会のレベルでは、最近の研究から、労働者のスキル・レベル(生徒の学習到達度調査(PISA)や国際数学・理科教育動向調査(TIMSS)など、国際的な学力検査の結果で測定)の方が平均的な教育レベルよりも、経済成長率をはるかに正確に予測するとされている。例えば、生徒の読解力と数学の得点の標準偏差の1ポイント上昇(ある国のパフォーマンスが中央値から上位15%に上昇するにほぼ等しい)は、一人当たりGDPの年間成長率の2%ポイントもの実に大幅な上昇と連動している。
多くの途上国では、学習レベルを測定すると、特に恵まれない人々の間で、驚くほど低い。もちろん、不利な学習環境にあっても、大半の生徒は学校で何らかのスキルは身につける。ただし、こうしたスキルはひいき目に見ても初歩的であることが多い。一部の国では、初等学校を卒業したばかりの若者の4分の1から半分は単文を読むことすらできないとする調査結果もある。在学生対象の国際的な学力検査も、大半の途上国と経済協力開発機構(OECD)の加盟国の間には知識面で大きなギャップがあるとしている。
最近公表された2009年のPISAを見ると、目覚しい結果を出した上海を除き、ほぼ全ての低所得国・地域と中所得国・地域は、得点が平均に届かず、多くがOECD諸国の平均に遠く及ばなかった。
学習は、早い時期から継続的に、正式な学校教育の内外の双方から奨励する必要がある。脳の発達に関する新たな研究によると、成長中の子どもの脳が適切に発育するためには、正式な学校教育が始まる6~7歳になるはるか前から栄養が必要だとしている。胎児の健康や、早期育成プログラム(教育・健康を含め)に対する投資は、潜在性を引き出すために不可欠である。初等教育時代には、生涯を通じた学習の基礎となる読み書き・計算の基礎を築くため、質の高い教育が極めて重要になる。青年期もやはり、学習から多くを得られる期間だが、この時期には結婚するため(特に女子の場合)、またはフルタイムの職に就くため、退学する学生が多い。そのため、すべての若者が労働市場で通用するスキルを身につけることができるよう、退学後にも再挑戦できるよう非公式な学習機会が不可欠である。
「すべての人々に学習の機会を」の戦略は、教育関連のMDGsの根幹である平等の実現という目標を推進する。この新戦略は、すべての人々に学習の機会を確保するという目標を設定し、教育関連のMDGsを学習促進という普遍的目標に結び付ける形でその達成を図る。初等、中等、高等教育レベルにおいて、不利な立場の人々(特に女子と女性)にとって教育へのアクセスという大きな課題が残っている。特に中等・高等レベルの教育については、初等教育修了率の上昇と共に需要が急増している。こうした課題への対応なしには、すべての人々に学習の機会を確保するという目標を達成することは不可能だろう。子どもと若者は、学校で基礎教育が提供されなければ、必要とするスキルと価値観を構築することができない。実際、PISAの最新結果(2009年)は、学習促進全体において最も成果を上げている国々は学生間で成績のばらつきが最も小さい国であるという教訓を改めて示している。
世銀グループの教育戦略の根幹は、(1)早期の(2)賢明な(3)万人に対する投資である。(1)幼少期に基礎的スキルを獲得すると、生涯にわたる学習が可能になる。従って、教育は初等教育からという従来の考え方だと、遅すぎることになる。(2)教育に対する投資の元を取るには賢明な投資が必要だ。すなわち、学習に寄与すると証明されている投資が求められる。教育に対する投資で重視すべきは質であり、成績向上が品質の主要な測定基準となる。(3)「すべての人々に学習の機会を」とは、特権層や優秀な人々だけでなく、文字通りすべての学生が必要とする知識やスキルを身につけられるようにするという意味だ。この目標を達成するためには、女児や障害者、民族言語面の少数派が他の人々同様の教育を受けることを阻む障壁を引き下げる必要があるだろう。
すべての人々に学習の機会を確保するため、世界銀行グループは、(1)国レベルでの教育システム改革、(2)世界レベルでの教育改革のための質の高い知識基盤の構築、の2つの方向性をもって教育分野の取組みを進めている。