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特集2011年5月17日

鈴木智子 国際金融公社(IFC)経営戦略部 戦略担当官~第33回 世銀スタッフの横顔インタビュー

ダークなジャケットに重ねたネックレスがいかにも「デキる女性」を感じさせる、洗練した装いで登場した鈴木さん。一見隙のない着こなしは、ニューヨーク、ワシントンDC、パリと都会を渡り歩いてきた彼女ならではのものだ。しかし、いったん口を開くと出てきたのは親しみやすい関西弁。エジプトに憧れていた高校時代から1歳になるお子さんの子育てに至るまで、彼女の人柄通りフランクに語っていただいた。

Tomoko Suzuki

The World Bank

兵庫県芦屋市出身。大阪大学文学部卒。大学卒業後渡米、カリフォルニア州クレアモントにあるスクリプスカレッジにて2年間学部留学後、ジョンズ・ホプキンス大学高等国際関係大学院にて国際関係修士号取得。専攻は国際金融、国際経済および環境。ゴールドマン・サックスNY本店国際株部、世界銀行カントリーリスク査定部、IFCの経営戦略部を経て、現在は同戦略部のグローバルマーケット戦略課にて、国際経済や市場動向の分析、カントリーリスクモニタリング、IFCの中進国戦略などを手がける。仕事と家庭の維持を両方こなすべく苦戦する一方、一歳になる息子から、インセンティブの使い方など日々いろいろ教わっている。第五回インタビューの福住氏とともに、世銀関西人会創立者の一人。

高校の頃の夢は「考古学者」、阪神大震災が変えた人生

小さい頃から歴史が好きで、歴史の本を読みあさっていたんです。それで、高校生の時の夢は考古学者。しかもエジプトに憧れて、「カイロ大学に留学したい!」なんて言って親を慌てさせたりしていましたね。「大学は日本の大学に行ってくれ、その後に留学してもいいけどせめて先進国にしてくれ」と言われて「それもそうか~」と納得し、その後はごく平凡な高校生活を送りました。根がのんびり屋なので、受験勉強も高校3年くらいになってからようやく始め、ぼんやりとした夢があってもすぐ実行するタイプではありませんでしたね。西洋史を専攻した大学でも、スキューバダイビングのサークルに入ったりと典型的な大学生の生活を送っていましたね。

ただ、頭の中のどこかで「このまま皆と同じ人生でいいのかな?」という思いがあったのは事実です。その頃阪神・淡路大震災が起こって、幸運にも実家は最小限の被害で済んだのですが、せっかく助かった命なんだし、何か人の役に立てることはないだろうかと思い始めました。そしてそれと同時に以前ぼんやりと思い描いていた開発への興味が再燃し、歴史好きの観点からなぜ非西洋国で日本だけが経済発展を遂げたのか、などについて考えていくうちに、だんだんと開発への興味が自分の中で固まってきたような気がします。

大学卒業後、アメリカで経済学を専攻

大学の4回生の時に留学を考えたときには、「開発の仕事がしたい、国際機関で働きたい」という目標が既にありました。色々リサーチをした結果、開発の基礎となる経済学や金融を勉強しながら大学院を狙うのが自分には一番いいという結論に達したんです。帰国子女でもなく、留学経験もなく、とくに努力をした大学生活をおくっていたわけでもない私には英語力が決定的に足りなかったし、まずは英語と経済学の下地をつけるため、2年間学部レベルでアメリカに留学し、経済学を勉強してから大学院に入る道を選びました。

2年間学部レベルの経済学を学んだ後に、ジョンズ・ホプキンス大学高等国際関係大学院に進学しました。大学院の選択理由は、卒業生で国際機関に入っている人が多いこと、ワシントンDCという立地、そして幅広い専攻が可能だったから。在学中にインターンも経験し、ワシントンDCにある小さな投資銀行で財務分析などを担当させて頂きました。卒業後は、独特の経験ができるだろうと思ったことと、実は開発に対して幅広い貢献をしていることから、日本の商社か金融機関に進みたいと考えて就職活動をした結果、三井物産とゴールドマン・サックスから内定を頂きました。博士号を取ることも考えましたが、ずっと学生でいいのかという悩みがあったので「まずは就職を」と。でも、このときに博士号を取っておけばよかった、と実は少し後悔しています。やはりなんでもいいので、専門性をひとつ身につけておくのは大事ですね。

NYでの就職後、結婚を経てワシントンDCへ

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ゴールドマン・サックスに就職を決めて、国際株部に配属になりました。日本の株を担当していて、主な仕事はリサーチセールス。このときの経験は今でも役に立っているんですけれども、自分としては仕事内容にあまり満足しなくて。やはり「自分のゴールは開発に関する仕事」と思っていたことと、プライベートでも、当時付き合っていた人にプロポーズされて結婚を決めたことが重なって、会社をさっくり辞めてまたワシントンDCに戻ることになりました。若かったからこそとれたリスクでしょう(笑)。

そこで世界銀行のカントリーリスク査定部門にコンサルタントとして採用になりました。そこは、世銀が健全な財政状態を維持しつつ、クライアント国および理事会のニーズに見合える貸付をしていけるようなポートフォリオバランスを保つために、国別の信用力を評価するところです。そこではマクロ経済分析をじっくりすることができたのですが、世銀が推し進めたいプロジェクトや貸付に対して部門の立場上反対することが多いのと、10年ほど「修行」をしないと認められないというようなカルチャーがあったことから、世銀内での他の仕事もしてみたいと思うようになったんです。

世銀グループには「ジョブワールド」といって、世銀グループ内の仕事の空席情報を見ることができるサイトがあるんですが、時々それを見て、面白そうな仕事には片っ端から応募しました。これは実は世銀内の若手職員・準職員の間でよくすること。採用する立場になってから判るのですが、同じレジュメを見かけることが結構あります(笑)。世銀は大きい組織なので中々全体像がつかみにくいんですが、幸い、カントリーリスク査定の仕事をしていて世銀のだいたいの構造は把握できたので、応募する際に助かりました。それで、ある日見つけたのがIFC(International Finance Corporation:国際金融公社)の経営戦略部の空席情報。色々な方面の知識とスキルが必要とされるのでやりがいがありそうということと、今までの金融市場から経済分析にかかわってきた自分の経験も生かせると思ったので応募することにしました。

IFC経営戦略部での仕事、そしてパリへ、またDCへ

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IFCの経営戦略部での主な仕事は、「開発金融機関としてどのエリアにどのように重点を置いていくか」という方向性を、各投資部門と連携しながら大まかに定めることです。経営指針を立てる上でチェックしておかなければならない事柄は、例えば「特定エリアでのIFCの業績と開発効果はどのようなものか」「顧客はIFCをどのように評価しているか」「IFCの経営環境は過去1年でどう変わったか」など多岐に渡ります。簡単に言ってしまえば、内部お抱えのマネージメントコンサルタントといったところでしょうか。IFCの各部門のマネージメントと関わることも多く、常に様々な内外の情報を幅広く把握しておく必要があり、幅広い仕事内容をこなすのは大変ではありましたが、非常に勉強になりました。また、大学院時代に勉強した開発に関するグローバルイシューがすべて目の前で展開されているので、非常にわくわくする環境でした。

ただ、「現場に出たい」「クライアントと関わりたい」という自分の希望に反して、外に出ることの少ない仕事内容に少々モチベーションが下降していたときに、主人がOECDの仕事でパリに行くことになったんです。いい機会だから現地で別の仕事を見つけてみようかと思ったり、MBAを取得しようかとGMATを受けたりしたのですが、当時の上司に話すと在宅勤務を勧めてくれてました。パリに移り、自宅でのリサーチなどは非常にやりやすかったのですが、ワシントンDCの時間に合わせて仕事をしながら、ほぼ毎月DCに2週間以上滞在するのは結構体力がいりましたね。結局、パリ生活が当初3年だったのが1年になったしまったこともあって、半年が過ぎたあたりで復職保証つきの休職扱いにしてもらい、フランス語を勉強しながら少しのんびりさせていただくことにしました。贅沢なようですが、やはり元文系ですので語学をしながらパリの美術館と町散策ができたのは楽しかったですね。そうしているうちに妊娠し、DCに帰ってきて、息子を出産。産休も合わせると、フルタイムで復帰するまでに2年近くお休みを頂いたことになります。

現在の仕事とワークライフバランス

復職した際は、女性も多い職場でしたし、上司の理解があったので本当に助かりました。今はIFCの経営戦略部でグローバルマーケット戦略課に配属され、国際経済や市場動向の分析、資本フローの分析、銀行セクターのバリュエーションの比較、IFCの中進国戦略を立てるなどの仕事をしています。間接的であれ、「どうやったら途上国に変化をもたらすことができるのか」を常に考えていますし、マネージメント・コンサルタントから一転変わって再び経済・金融の知識が求められているので、再勉強の日々ですが、毎日楽しいですね。

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子育てと仕事を両立させるのは本当に大変ですが、思ったよりは両立できているかな。やっぱり、「何があっても時間が来たら仕事を切り上げて帰る」という点は、仕事の後飲みにいっていた子どもを産む前の時代と大きく違いますが、仕事の効率はアップしたと思いますね。余計なことはやらない、というかできません(笑)。ひとまず帰って子どもの世話をして、離乳食等を作った後、真夜中に終わらなかった仕事を片づけることになるので、体力的には大変ですが、やりがいがあります。主人ももちろんIMFで育児休暇をとったりしてサポートはしてくれていますが、生物学的な役割の差とそこから派生する時間的拘束の差があるというのは認めざるを得ないと思います。例えば授乳は女性しかできない。世銀グループは慨して勤務時間の柔軟性や、休暇の日数が多い面及びその他の福利厚生の面では恵まれていると思いますが、子供を生んで育てる制度の面ではアメリカ寄りで、アメリカ自体は他の先進国と比べるとまだまだですね。一般的に産休は3ヶ月あるいはそれ以下しかありません。日本の産休の方が長いし、北欧諸国の環境にかなり劣ります。

コミュニケーション能力、専門性とある程度の楽観性

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若い人に言いたいのは、「夢があるならとりあえず行動に移すべし」ということ。リサーチをすることも大事ですが、指針を決めたならそのまま実行してほしい。でも、人生で現実という名の壁に当たることも必ずあります。夢が崩れるとき、思い通りにいかないとき、壁にあたるときもきっとある。そんなときは楽観的に乗り越えるのが一番です。あと、日本人は知識が豊富だけれども、目立たない場合が多い。コミュニケーション能力の低さが第一要因のような気がします。英語力ももちろん必要ですが、個人的にはコミュニケーション能力の方がより重要だと思いますね。どうやってこの能力を上げるかと言えば、現場で鍛えられることが一番。私も当初は何度も悔しい思いをしながら、「今日は1回は発言しよう、どうせ発言するなら誰も思いつかないことを発言するんだ」と心に決めて会議にのぞんでいました。個人的に、関西人であることが自分の強みになっているかも。関西人の方は、日本語のノリをそのまま英語にするといいですよ(笑)。

また、MBAが必須と思われているIFCについて少し触れておきます。IFCでの仕事の種類を大まかに4つに分けると、(1)投融資、(2)技術援助、(3)私のようなストラテジスト及びエコノミスト、(4)弁護士などのサポート職、ということになりますが、投資部門で仕事がしたいならMBAは必須です。逆に言えば、それ以外の3つの部門の仕事には必須というわけではありません。いずれにせよ、専門性は求められていますね。最近、グローバル・トランザクション・チーム(GTT)プログラムを 経て投融資部門に入って来ている人たちは、MBAやデュアルディグリー(MBAと他の学位)を持っていて、さらに途上国での投資関係の仕事を経験している人が多いです。

外からみると、世銀グループでは、ヤング・プロフェッショナル・プログラム(YPP)やGTT以外での採用のドアが開くタイミングがわかりにくく、一本化されていないということが言えると思います。たまたま誰がどこにいて、仕事を探しているといった運やタイミングが大事になってくることもあるので、シビアですよね。でも、あきらめずに情熱を持って挑戦し続ければ、必ず道は開けるはず。あと、専門性を高めながら、見聞を広げるも大事。応援しています!

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