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特集2009年12月29日

神田千世 世界銀行 タンザニア・ウガンダ・ブルンジ 国別担当ユニット 上級オペレーションズ・オフィサー~第9回 世銀スタッフの横顔インタビュー

早口で快活にしゃべり、よく笑う神田さんの話し方ぶりからは、彼女が人生を目いっぱい楽しんでいる様子が見て取れる。興味を持ったこと、やりたいことに向かって努力を重ね、それを苦に思わない実直な人柄がうかがえる入行までのエピソードや、非常に興味深いご家族のお話をご紹介する。

Chiyo Kanda

The World Bank

埼玉県熊谷市出身。津田塾大学国際関係学部卒。東京の日本コンベンションサービス株式会社で国際会議運営業務を経た後、米国アメリカン大学留学。国際開発学修士・経済学修士取得後、国連開発計画のジュニア・エコノミスト(JPO)としてマラウイに派遣。1994年、ヤング・プロフェッショナル・プログラム(YPP)を通じて世銀に入行。以後、アフリカ局での保健関係のプロジェクトに従事。仕事と幼児を抱えながら、2003年ノースカロライナ大学(チャペルヒル校)でMBAを取得。業務政策被支援国サービス総局(OPCS)での政策改革・簡素化、職員への業務アドバイス等の担当を経て、2008年7月、夫と娘2人と共にダルエスサラーム事務所(タンザニア)に配属され、現在に至る。共働きで多忙の日々の中、娘の日本語教育に熱意を燃やす。

英語だけは好きだった中高時代

埼玉県の熊谷というところで、なんと25才まで引越しを経験せずに育ったんです。小中高と地元の公立校に通い、中学2年のときにあるプログラムでアメリカの西海岸に2週間ほどホームステイしたんですが、それが楽しくて楽しくて。初めて見る景色や人、食べ物、そして言葉…。“またいつか絶対に行くぞ”。そんな思いがあったからか、それから英語だけはずっと勉強を欠かさなかったですね。大学で国際関係学部を選んだのも、その経験が元になっていると思います。

2つの修士号を取ったのは…

The World Bank
大学を卒業していったんは就職したものの、2〜3年するとやはり開発の仕事がしたいという思いが自分の中で強くなって、思い切って仕事を辞め、大学院に留学しました。私の場合スタートが遅かったということもあり、“国際関係の授業があって締切が間に合うところ”という条件で絞っていくとそんなに数がなくて、なかでもプログラムが面白そうだったワシントンDCのアメリカン大学に行くことに決めたんです。

もともと興味があったのは国際関係や開発で、経済にはまったく興味がなかったんですが、やはり開発を勉強していると経済を避けては通れない。ならばと真剣に取り組んでみたら、面白かったんです。どうせやるなら修士号もと、結局国際開発学と経済学の2つの修士号を取得しました。

現場経験はお金を払ってでも手に入れるべし!

皆さんそうだと思うんですけど、雇ってもらえる確率を上げるために、お金を払ってでも欲しいのが「経験」。大学院時代、ユニセフでインターンをしたときは全くの無給で、しかも勤務地がニューヨーク。知り合いの知り合いに頼み込んで、ただで泊めてもらって働いていました(笑)。ほかの機関でもいくつかインターンを経験しましたね。

そうこうしているうちに国連のJPOプログラムに合格したんです。アジアかアフリカに行きたいという希望を出したら、マラウイでどうかという打診が来て。「えーと、どこにあるんだっけ」と地図を見直したりしましたけど、まあ行ってみるか、ということで、2年間のマラウイ生活が始まることになりました。

「自分の身で体験する」という大事さ

The World Bank
途上国で暮らしてみて痛感したのは、「簡単なことがいかに難しいか」ということ。例えば政府の人とミーティングしたいとします。でもその約束を取るのがすごく難しいんですね。電話にも出ないし、行っても皆出払っちゃっている。タンザニアでもそうなんですが、誰かのお葬式があると親戚・隣人・友人・同僚、皆必ず出席するのだそうで、そうなるとこちらが急ぎの仕事なんて言っても通用しないんですよね。ほかにも電話をつなぐだとか、水道料金を払うなんていうごく当たり前のことをするのに信じられないぐらい時間がかかったり…。こういったことを自分の身で体験するというのが、今ではすごく大事な経験だったなと思っています。

この経験は現在にも生きていて、仕事を進めていく上で、現地ではどういう状態で苦しんでいるのかが理解できるし、物事を動かす難しさが身に染みてわかるので、イライラせずに済んで自分の精神衛生的にも助かってますね。また、仕事の進行管理の面でも、これぐらいの仕事ならこれぐらいの期間かかるだろうという読みが正確にできるメリットもあります。

国際人、でも同時に「日本人」

The World Bank
実は、主人とはマラウイで出会ったんです。エチオピアとスペインのハーフである彼はやはり開発の仕事に携わっている人で、WHOの仕事でマラウイに来ていました。それまではヨーロッパや中東にいることが多く、アメリカにはほとんど来たことがなかったそうなんですが、私が世銀のプログラムに合格したことで、彼もちょうど契約期間が終わるところだったこともあり、マラウイで結婚してアメリカについて来てくれることになりました。アメリカで彼も仕事が見つかり、2人ともフルタイムで働いているうちに子供ができて。2人だったときはまだよかったんですが、やはり子供ができてからは仕事と家族のバランスに気を使いますね。彼が色々と家事をやってくれる人なので助かってますが。

今、子供が10才と2才なんですが、子供と話すときは必ず日本語って決めています。個人的なこだわりなんですが、国際人であると同時に日本人であることを大切にしたくて。日本に住んだことがない子供たちだからこそ、言葉や食べ物、本などで、家庭の中で日本を培っていきたいですね。主人との会話は英語なので、こちらも意識して使い分けるのが正直ときどき大変ですが、これからも頑張って続けていくつもりです。

「なんでもやってみる」のススメ

日本人の若い人って、とても礼儀正しくて静かで、道に外れたことをしなくて…という印象があるんです。私は長女だったこともあって、いろいろとうるさく言われる家庭で。1人で国外に行くことさえ反対されましたが、自分がやりたい!と思ったことなら全力で前に進んで、その点はずいぶん切り開いてきたという自負があります。世銀でバリバリやりたいと思っているのなら、少し乱暴な言い方になっちゃうけれども、日本では周りを驚かせるぐらい型破りなことをやる人ぐらいがちょうどいいのかもしれない。そのぐらい、「○○をやってはいけない」ってことや親がどう思うかなんて気にせずに、エネルギーがあるうちに自分のやりたいことに向かって思い切って突き進んで欲しいですね。

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