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特集2009年8月25日

小辻洋介 国際金融公社(IFC)農業ビジネス部門 アソシエイト・インベストメント・オフィサー~第4回 世銀スタッフの横顔インタビュー

2008 年 9 月から、国際金融公社(IFC)の グローバル・トランザクション・チーム( GTT )プログラム にて新たなキャリアをスタートさせた小辻さん。金融マンとしての知見を活かし、農業ビジネスへの投資を通じて途上国の発展に貢献するために IFC を選んだと語る。同プログラム1年目の所属先は農業ビジネス部門、まさに希望通りの部署に配属となった。そんな彼の表情は、いつも自信に満ち溢れている。が、それは華々しい経歴を誇る「エリート意識」から来るものではない。空手で培われた精神的強さと、その強さをもって目の前の困難にひとつひとつ挑んできた経験が、彼の自信に繋がっているのだろう。

Yosuke Kotsuji

The World Bank

福井県出身。2001年東京大学法学部卒業。同年、ゴールドマン・サックス証券会社投資銀行部門入社。企業の合併・買収や資金調達のアドバイザリー業務に5年間従事。2008年に、ハーバード・ビジネス・スクール卒業後、IFC農業ビジネス部門に入社。アフリカ及びインド企業への投融資案件を担当。2009年9月から、セネガル(西アフリカ)事務所に赴任予定。アフリカの農業ビジネスにどっぶり漬かるのを楽しみにしつつも、フランス語の習得が目下の課題。

家庭環境が抱かせた国際協力への興味

出身は福井県です。父親が大学病院の勤務医であるため、「人のために役に立つ仕事をするのが大切」という価値観の家庭で育ちました。途上国に関わる仕事がしたいと漠然と思うようになったのは中学の頃ですが、こうした家庭の価値観に加え、母の影響が少なからずあったと思います。母は昔から環境問題や途上国の問題に対する意識が高い人で、ご飯を残したりすると「アフリカで飢餓に苦しんでいる人がいるのに!」とすごく怒られたものです。

大学進学を控え、なんとなく国際機関に対する憧れというものは抱いていましたが、福井の高校生の知識の範囲では、「途上国開発といえばODA」だったので、ODAを担当する官僚になりたいなあと思い、東京大学の法学部に進みました。

「福井弁」が空手部への入部を決めた?

The World Bank
大学では体育会空手部に入部し、4年間授業もろくに行かず空手に明け暮れていました。でも、本当はテニスサークルに入りたかったんです。大学に入ったら、やはりかっこよくテニスをやって、女の子にもてたいじゃないですか(笑)。そういう不純な動機でテニスサークルに入ろうと思ったのですが、男女比のバランスを保つための面接で全滅しました。面接の評価基準は、1. テニスが上手い、2. 一発芸ができる(面白い)、3. 男前。自分はこの3つとも満たしていない上に、「もそもそー」と喋る福井弁まる出しだったのが原因でしょう(苦笑)。3つほどのサークルから落とされてすさんだ気持ちになり、結局、小学校の時にやっていた空手を体育会でやることにしたというわけです。

空手部で過ごした経験は自分のメンタル面での基礎を作ってくれました。自分より背が高く体重の重い選手の突きや蹴りをかいくぐっていくのはとても怖いものでしたが、おかげで、どんな困難にぶち当たっても、決して逃げない精神的な強さを身につけることができたと思います。また、空手道は個人競技と思われがちですが、大学では団体戦がメインなので、試合に勝つには自分だけではなくチーム全体を強くする必要があり、そのためにはチームワークが不可欠です。「One for all、all for one」という気持ちでチャレンジを乗り越える体験ができたことは、今仕事をやる上でもとても役に立っていると思います。

ただ、もっと勉強をしておけばよかったという後悔はあります。実は卒業後の進路として、農林水産省から内定を頂いていましたが、空手ばかりでまったく勉強していなかったことが災いし、国家公務員試験不合格。一年間、就職留年をすることになりました(苦笑)。

転機となったインドネシアでのNGOインターン

この就職留年が、自分にとって大きな転機になりました。4年の夏に部活を引退したあと、夏休みに2ヶ月間、インドネシアのNGOでボランティアとして働きました。これが僕にとって途上国開発に関する原体験になりました。今の僕のキャリアパスを定めた、といっても過言ではありません。仕事内容は、ジャワ島中部のボヨラリという小さな村にホームステイをして、アスパラガスの栽培と出荷の手伝いをする、というものでした。僕が働いたNGOは、熱帯でも育つ新しいアスパラの品種を導入し、その栽培を村の農民に教え、都市部に高い値段で売ることでお金を儲け、村を豊かにしていこうという試みをしていました。設けたお金で新しい井戸を掘ったり、共同でテレビを買ったり…。

農業の技術もビジネスの知識もない自分がインターンとしてやれることといったら、肉体労働だけでしたが、問題意識はいくつか持って帰ることができました。ひとつは、ビジネスを学ぶ必要性。このNGOの活動を通じて、お金儲けが人を幸せにできるのだということを実感し、官僚になってODAに携わるよりも、将来的にビジネスを通じて途上国に関わるほうがより人の役に立てるのではないかと思うようになりました。もうひとつは、金融を理解する必要性です。僕が働いたNGOは、資金が十分になかったため、事業をボヨラリ村の外に広げることができませんでした。もし、銀行などからうまく資金を調達できれば、ジャワ島全土にアスパラ栽培を広めることができたかもしれません。そこで、いいアイディアを持った人が、事業を拡大するために、どうやってお金を調達するのかを学びたいと思ったわけです。

これらの2つの理由で、いつかはビジネスと金融の知識を国際協力に活かしたいという思いが芽生え、卒業後は銀行か証券会社に就職しようと思いました。帰国して就職活動をして、ゴールドマン・サックスというアメリカ系の証券会社から内定を頂くことができたんです。

証券会社での怒涛の日々から留学へ

The World Bank
入社後5年間働いたのは、企業同士の合併や買収が行われる際の財務的なアドバイスを行ったり、企業が株や債券を発行して資金調達をするときのお手伝いをする部署。働き始めた頃は、「株って何?財務諸表って何?」という状態でしたし、英語もろくに喋れませんでしたが、体育会的なカルチャーのなかで、先輩方にビシビシ鍛えられました。平均睡眠時間が4時間程度という厳しい環境ながらも、合併・買収や資金調達などはクライアント企業の命運を決めるイベントといっても過言ではなく、案件がうまくいくとお客様からとても感謝して頂けるので、非常に充実度の高い日々でした。

実は、こういう怒涛のような毎日の中で、当初の開発への思いは忘れかけていたのですが、大分心に余裕が出てきた3年目の終わり頃に休暇で沖縄に行き、海を見ていたら、「そういえば、途上国開発に役立てる知識を得るために僕はこの会社に入ったんだったな」ということをふっと思い出したんです。そのときたまたま読んでいた「国際協力を仕事として」(西崎真理子他著)という本に刺激されたこともあり、開発業界のことを調べ始めました。国際金融公社(IFC)のことを知ったのはこの頃です。邦銀出身で、途上国のプロジェクト・ファイナンスをやっていた上司から勧められたのがきっかけでした。

IFCに入るには最低限修士号が必要ということで留学を考え始めたのですが、空手漬けの毎日で大学の成績はボロボロ・・・。そんな自分が公共政策だとか開発経済の大学院に入るのは厳しいと判明したので、証券会社でのキャリアが評価されるMBAを目指しました。結果、ハーバード・ビジネス・スクールに合格することができ、2006年の夏から2年間留学しました。

キャリア・プランを明確化できたハーバードでの2年間

留学中、1年目が終了した後の夏休みを利用して、テクノサーブというモザンビークのNGOでインターンを行いました。テクノサーブは、元マッキンゼーのコンサルタント等が運営している、途上国の農業ビジネス振興を支援するNGOです。モザンビークでは、現地の農業企業に対して、バナナや養鶏などの事業計画と資金調達計画を策定する仕事をしました。

留学期間中に、インターンの経験、マクロ経済・国際金融・産業政策などの授業、途上国出身の学生や開発分野で働いてきたクラスメートたちとの議論を通じて、「途上国で競争力のある産業の育成支援に人生を賭けたい」という思いを強くしました。貧しい国が豊かになるには、そこに強い企業が生まれなければなりません。日本の歴史を振り返っても、戦後の焼け跡からソニーやホンダのような競争力のある企業が生まれ、いい商品を作ってお金を稼ぎ、雇用を生み出したわけです。また、儲けの一部を税金として政府に払い、その税金が、教育や医療といった人間開発の分野に使われたのだと思います。もちろん、ビジネスだけが大事なわけではありませんが、強いビジネスを生み出すことは、貧困削減の第一歩だと僕は信じています。

産業育成の分野の中でも、元証券マンとしての強みを活かして関われる分野は、途上国の企業に対してビジネス強化や事業拡大のための資金調達のお手伝いをする仕事だと思い、IFCをはじめとした途上国向けの金融機関で働きたいと考えるようになりました。

アフリカ・ビジネスのプロフェッショナルへの道、そして将来の夢

The World Bank
幸い、ハーバード在学中に応募したIFCのGTTプログラムに合格しました。いろいろな選択肢の中でIFCを選んだのは、途上国投資の分野では一番と言っていいくらいの長い歴史があり、大きなプレーヤーだから。長年にわたり培われてきたIFCの投資ノウハウを学び尽くしたいと思っています。

現在所属している農業ビジネス部門では、アフリカやインドの企業への投資案件を担当しています。最近では、インドの紅茶農園への株式投資案件を担当しました。インドの中でも特に貧しいこの地域では、紅茶産業が大きな雇用を生み出しているので、この会社への資金提供は、現地経済を支える上で重要な意味を持つのです。もちろん、投資に伴うリスクも高いので、なるべくリスクを緩和できるような仕組みを考えたり、取るリスクに見合ったリターンが得られるように、紅茶農園の財務担当者と投資条件を交渉したり、といった仕事をしました。

9月からは、西アフリカにあるセネガル事務所に配属になる予定です。ここで数年間、現場での経験を積みたいと考えています。顧客である現地企業の近くで働くことで、ワシントンDCからでは見えない現地のビジネス事情や課題などが見えてくると思っています。また、金融マンとしては、お客様から、「君と働いてよかったよ」と、直接喜んで頂くのが一番のやりがいですしね。

日本企業とアフリカ企業の提携を仲介するのが将来の夢ですね。日本企業には、世界に類を見ないくらいの優れた技術や、トヨタ生産方式のような経営ノウハウが沢山あります。そういった日本の知恵をアフリカの企業が学べれば、アフリカ産業の競争力は高まるのではないでしょうか。例えばの話、日本の生産技術を用いて、世界で一番安くておいしいソーセージを作る会社がアフリカにできたとしてもおかしくない!もちろん、タダで技術やノウハウを渡すのではなく、儲けの一部が配当などの対価として日本企業に帰ってくる、そんなWin-Winの関係の構築に貢献したいですね。そのために、アフリカのビジネスだったら誰にも負けないという自信を持てるようになるまで、頑張ります。

若い人へのメッセージ

やっぱり大事なのは、自分の目の前のことを一生懸命やることだと思います。最近、長期のキャリアプランニングが重要と言われますが、自分が福井にいるときは、まさか金融の世界に入るなんて考えもしなかったし、海外で働くとは思ってもいませんでした。あまり大げさに考えなくても、目の前のやるべきことに対して地道に、そして気合を入れて取り組んでいれば、必ず得るものはあるし、努力を見ていてくれる人は必ずいます。「努力をしていればきっと道が開ける」という信念を、自分への自戒も込めて、読んで下さっている方々へのメッセージにしたいと思います。

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