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特集2017年7月7日

平野夢香 世界銀行 独立評価グループ(IEG)経済マネジメント・国別プログラムユニット エコノミスト~第47回 世銀スタッフの横顔インタビュー

やわらかい笑顔が印象的な平野さん。しかし「寝る暇も惜しんで調査や研究をしていた」という言葉から、その笑顔からは想像できない芯の強さを感じた。常に自分の進みたい道に向かって努力を惜しまず、JPOから職員になるために自分でチャンスをつかんできた行動力や、初心を貫くブレのなさを持つ彼女の活躍に期待したい。

Yumeka Hirano

The World Bank

2014年にジュニア・プロフェッショナル・オフィサー(JPO)(注)プログラムを通して世界銀行に入行。東アジア・太平洋地域総局チーフエコノミスト・オフィス(シンガポール事務所、ワシントンDC本部)で、マクロ経済モニタリング、貧困・格差の研究、ASEAN経済統合に係るアドバイザリー業務、太平洋国への開発政策融資に携わる。現在、IEGにおいて、世界銀行の繁栄の共有への取組み、開発政策融資、国別プログラムの分析、評価を担当。入行前は、日本学術振興会特別研究員(応用経済学・開発経済学)として、経済統合、成長・貧困・格差の関係、効果的開発援助をテーマに研究に従事。共編著・論文に「グローバリゼーションと開発」(Routledge, 2015)、「開発援助は貧困削減に資するのか(Aid Is Good for the Poor)」(世界銀行政策研究論文, 2014)等がある。岐阜県出身。名古屋大学国際開発研究科博士号取得。

開発政策研究が面白くて「もっと勉強したい!」と思った学生時代

昔から漠然と国連職員になりたい、国際開発の仕事につきたいと思っていたんです。名古屋大学国際開発研究科で受けた講義とゼミが楽しくて刺激的で、開発経済学に興味を持つようになり、貧困・格差をテーマ研究に取り組むようになりました。ゼミ生の大半は、開発途上国の中央銀行、省庁、研究機関で国の政策立案に携わっている留学生でした。ゼミ仲間と一緒に様々な国の開発課題を取り上げて議論しているうちに、政策に生かされる研究にやりがいを感じて、このまま勉強を続けたいと思うようになりましたね。もともと修士課程に進むことだけを考えていましたが、開発エコノミストのキャリアには博士号がほぼ必須ということを知り、博士課程へ進むことを決めました。自分が書いた研究企画書が認められ、日本学術振興会の特別研究員として研究を続ける機会をもらったのもこの頃です。在学中、現地調査や研究発表でタイ、ラオス、ベトナム、インドネシア、ブータン、エチオピア、タンザニア等、多くの開発途上国へ行ったのですが、現地へ行く度にもっとその国ついて知りたい、もっと勉強したいと思っていましたね。

学部に在籍していたとき、オーストラリア語学研修やアメリカ交換留学に参加したり、レジデント・アシスタントとして留学生寮に住み込み、世界各国からきた学生と生活したりすることで、英語を身につけました。また、私の通っていた大学院は日本国内にありながら、英語の教科書、文献を使用し、すべての授業が英語で行われ、学生数の大半は留学生が占めていましたので、ゼミ仲間との議論、研究活動、論文執筆を通して、英語と専門分野の語学力を向上させました。また在学中に、国連インターンシップに参加したり、開発途上国での現地調査を自分で準備、調整したりすることで、実務英語を身につけました。国内、海外の大学を問わず、自分で英語を使う環境に身を置くことが大切だと思います。

大学院在籍中にJPOに応募、そして合格

国際開発関係の求人は、以前から定期的にチェックするようにしていました。ある時、ちょうど自分の研究分野に合ったJPOの募集を見つけて、思いきって応募したんです。選考プロセスは、スクリーニングの後、いくつかの書類選考があり、その後東京事務所での面接がありました。最後に、直接雇用される部署のマネージャーとビデオ電話面接を行いました。応募してから最終的に合格の知らせを受け取るまで、1年ほどかかりましたね。わたしは大学院で博士論文を執筆している途中だったので、ほぼ終わらせてから入行できるようマネージャーに時期を調整してもらえて助かりました。入行後は、仕事で忙しく自分の時間はあまり取れなかったので、論文が最終段階になってから入行してよかったと思います。

主な研究テーマは、経済統合、成長、貧困、格差の関係でした。世界銀行が2013年に「貧困撲滅と繁栄の共有」と2つの目標を挙げてから、力を入れているテーマだったこともあり、担当部署で研究、フラッグシップ・レポート執筆のコアメンバーに入ってほしいと声をかけてもらいました。この機会を逃したくない、と論文をまとめ上げるのに必死でした。

可能性を広げてくれるJPOプログラム

The World Bank

JPOとして東アジア・太平洋地域総局のチーフエコノミスト・オフィスに所属して、1年目はシンガポール事務所、2年目はワシントンDC本部をベースに、色々なプロジェクトで働く機会をもらいました。シンガポールでは、地域の経済分析・研究と東南アジア諸国連合(ASEAN)の経済統合に関するアドバイザリーが主な仕事でした。ジャカルタにあるASEAN事務局を訪問し、政策協議に参加したり、ASEAN会議で分析結果を発表したり、1年目にして現地で実務経験がつめたことは本当によかったです。本部では、引き続き地域経済の研究をしながら、「東アジア・太平洋地域 半期経済報告(East Asia and Pacific Economic Update)」のコアメンバーとして、マクロ経済モニタリングを担当し、太平洋地域への開発政策融資のオペレーションにも携わりました。

現地事務所での経験やJPO時代に何度か参加した現地ミッションの中でも、特に印象的だったことが2つあります。1つ目は、JPOとして入行しシンガポール事務所に赴任した初日、ミャンマーとタイのミッションでバンコク事務所に来ていたキム世界銀行総裁とのタウンホール会議に参加した時のことです。アジア・太平洋地域約15カ所にある事務所を繋いだビデオ会議で総裁と現地職員が対話をし、こんなグローバルな環境で働けるのだと驚きました。また、今後の地域戦略を打ち出すキム総裁のリーダーシップに刺激を受け、世界銀行職員の一人として全力で働きたいと思ったことを、今でも鮮明に覚えています。

2つ目は、JPO2年目に、太平洋にあるトンガという小さな島国の開発政策融資オペレーションの主要メンバーとして働く機会をもらい、現地で財政政策のリフォーム、民間セクター開発の支援を行ったことです。約1カ月半、太平洋のオペレーションを総括しているシドニー事務所で、経済分析とオペレーションの準備をした上、現地入りしました。トンガではチーム・リーダーと2人でレンタカーを借り、財務省当局、関係省庁、中央銀行、開発銀行、税関、商工会議所、統計局等をまわって、カウンターパートとの協議に参加しました。現場で問題を洗い出し、オペレーションを進めることの重要性を身をもって学び、気づいたら島をほぼニ、三周していたというトンガミッションは本当に刺激的でした。

国際開発の仕事につくためには、ある程度の知識や経験が問われることが多いと思います。まずキャリアの入口を見つけることが難しいんですよね。JPOという制度は、将来の可能性を見てくれて、キャリア形成の機会を広げてくれる、本当に素晴らしい制度だと思います。タイでオペレーションの研修やカナダで専門分野の研修にも参加させてもらい、スキル向上にも努めました。また、JPOで同じく世銀に入行した同期とは、セミナーやランチなどで会う機会があれば、積極的に足を運ぶようにしていますね。励まし合うことができる仲間がいるというのも心強いです。

JPOから職員への道のり

The World Bank
JPOは2年間の契約で、その後世銀職員になるには自分で行動を起こさないといけません。わたしの場合は、世銀の空席ポストの情報を見て、自分のスキルを生かせそうだなと思ったポストの部署で働いているマネージャーに直接会いに行きました。自分の書いた論文やレポートを持って、自分を売り込みにいきましたね。何人も会った中で、話が進み、マネージャーと一度、その後部署のメンバーと2回面接をして、合格をもらったのが、現在働いているのが独立評価グループ(IEG)です。

IEGでは、世界銀行が今までの10年間、貧困格差をなくすためにどんな政策支援をしてきたかを分析・評価する仕事に携わっています。わたしはインドネシアの担当なのですが、地域格差、財政政策や税制、社会保護、教育の質など、実にさまざまな課題があります。JPO時代に現地で得た経験と、分析スキルが今の仕事にとても役立っています。

仕事以外でも学ぶことを怠らない

これまでの経験から、英語で理解し、仕事をすることに問題はないのですが、英語で自分の意見を効果的に伝えることには、今でもネイティブ・スピーカーとのハンディキャップを感じています。それを克服する為に、世界銀行でパブリック・スピーキングのクラブに所属し、語学力だけでなく、コミュニケーション力、リーダーシップ力を高めることにも努めています。それと、憧れの女性リーダーのスピーチをよく見たり聞いたりしています。

世銀の仕事の醍醐味は、自分がチームメンバーと一緒にやった分析や提案を、開発途上国の政府が新しいアイディアとして見てくれること、実際に国の政策やオペレーションに取り入れてくれることですね。優先課題や需要など、開発の潮流は変化するので、説得力のある分析や面白いアイディアを出すには、常に勉強が必要です。

新しい考えや分析手法を学ぶため、仕事以外でも学会やセミナーに参加したり、ジャーナルを書いたりすることはいつも意識しています。そして、とにかく開発の仕事が好きでやりがいを感じているので、学ぶことを楽しみながらこの仕事を続けていけたらと思っています。今のように世銀で政策に関わる仕事だったり、現場に近い仕事であったり、大学で研究や教育の仕事だったり、どんな形でもいいです。

趣味の半分は仕事ですね。残りの半分は、新しいものを見て、学ぶことが好きなので、行ったことのないところに旅行するようにしています。あとは体を動かすのが好きなので、世銀のハイキングクラブに入って、国立公園に行ったりしています。

チャンスは自分でつかむもの

The World Bank
これから世界銀行や国際開発の分野を目指す方に伝えたいことは、物事の半分はめぐりあわせで、あとの半分は自分で決めたり、行動したりすることで変えられる、ということですね。私が尊敬する師匠から教えてもらったことなのですが。特に、学生時代にできることはたくさんあります。わたしは、国連やJICAでインターンシップに参加したり、研究をしたり、学会や国際会議に論文を投稿したり、奨学金と競争的研究費を自分で獲得したり、何カ国もの開発途上国で現地調査をしたり、できる限り自分の進みたい道に関わるチャンスを見つけて動き回っていました。やりたいことだらけで、寝る時間がもったいないと思っていました(笑)。

日本での就職活動と違って、国際機関では求められているスキルがはっきりと提示されているので、自分に足りないスキルを一つずつ身につけられるよう行動することも大切です。それと、特に開発経済をやっている方なら、自分の研究や主張を一度論文にまとめておくことをおすすめします。それによって自分のスキルやロジック、研究してきたことを証明できますから。就職活動の中で「すぐに研究成果を送って」と言われることもあるので、用意しておけばきっと役に立つと思います。

まわりにはたくさんのチャンスがあります。常にアンテナを張って、自分の進みたい道に進めるよう、チャンスをつかんで、チャレンジし続けてほしいですね。頑張る皆さんを応援しています。

(注) ジュニア・プロフェッショナル・オフィサー(JPO)・プログラム:世界銀行と日本政府の連携で2009年に始まった日本人の若手職員採用プログラム。応募資格は、入行時に32歳以下で、世界銀行の業務に関係の深い分野に関連する修士号および2年以上の職務経験を有し、英語で職務遂行可能な、日本国籍を持つ方。募集するポジションのTORを公表し、候補者は自身の専門性にあったポジションに応募。勤務先は多くがワシントンDCの世銀本部(途上国事務所の場合も有り)。原則2年間の任期の後、勤務評価に基づき更新が可能。

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