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特集2011年4月5日

鈴木博明 世界銀行 金融経済・都市局 都市ユニット 主席都市専門官~第31回 世銀スタッフの横顔インタビュー

まだ海外に出ることが今ほど一般的ではなかった時代から、海外に興味を持ち挑戦や試行錯誤を繰り返しながら、現在の地位までキャリアを積んできた鈴木さん。「人と違うことをしよう」という彼の哲学と粘り強く努力を続ける姿勢は、きっと多くの若者の参考となるだろう。力強く、時には熱い語り口で、聞く者を魅了する山あり谷ありのストーリーを語ってくれた。

Hiroaki Suzuki

The World Bank

愛知県名古屋市出身。横浜市立大学文理学部国際関係課程、カーン大学仏語課程及びマサチューセッツ工科大学スローンマネジメントスクール修士課程(MIT Sloan School of Management)修了。1975年旧・海外経済協力基金(現・国際協力機構:JICA)に就職。アフリカ円借款業務、カイロ中近東地区事務所駐在員、総務企画部門、途上国を対象とする民間マネージメントコンサルタントの設立業務を担当後、1986年より世界銀行東アフリカ地域総局に出向。1989年に海外経済協力基金を退職し、世銀の正規職員となる。鉱工業部門、国営企業改革部門をへて、1994年より南西アジア地域総局で都市部門を担当。2002年に東アジア地域総局に移り、東アジア都市セクターリーダーとして、インドネシア、中国等の都市案件を総括。2009年より、持続可能な開発総局(Sustainable Development Network)の経済金融・都市局の首席都市専門官として都市部門の戦略の策定、新規ビジネスプロダクトの開発およびKnowledge Managementに従事。Eco2Cities: Ecological Cities as Economic Cities Initiativeの促進と都市金融制度の研究開発が主要業務。趣味は剣道(3段)、アウトドアスポーツ、テニス、音楽、及び読書。家族構成、妻、男子高校生、ハスキー犬2匹。

父親が見せてくれた8ミリフィルムがすべての原点

海外に興味を持ったきっかけは、父親の仕事にあったと思います。スクーターや車を輸出する仕事をしていた父は、大蛇が一杯いるようなベトナムのジャングルや、南米の高地で車をテストする様子などを録った8ミリフィルムを家で見せてくれたんです。幼心にそれが誇らしくて、小学校の高学年の頃だったと思いますが、友達を家に呼んで見せた記憶があります。そのフィルムに写るまだ見ぬ世界に魅了されて、とにかく海外に行きたいと強く思いました。

「人と違うことをしよう」とフランスへ

海外に行くためにテレビや新聞の海外特派員になろうと単純に考え、それなら社会学を勉強するべきだというアドバイスを受け、大学は社会学が学べるところを探して受験しました。ところが、いざ大学に入ってみると、社会学の授業にあまり興味を持てなかったんです。たまたま同じ大学に、当時は珍しかった国際関係課程があって、そっちの方が面白そうだなと思い、大学の事務局に頼んで専攻を変えてもらいました。国際政治、国際法、国際経済などを学びましたが、その時は、まだ開発に関わりたいという意識は特にありませんでした。

卒業が迫ってきた頃、まだ社会に出る心の準備ができていなかったので、留学を決めました。アメリカには多くの人が留学しているので、「人と違うことをしよう」と第二外国語として勉強していたフランス語に磨きをかけるために、フランスに留学したんです。またナポレオンのフランス革命の時に近代ヨーロッパができたという認識があったので、「近代の潮流がどこから来ているのかを確かめたい」というもうひとつの理由もありました。ヨーロッパに安く行くためにはシベリア迄船で渡り、汽車、飛行機を乗り継ぐという時代でしたから、ナホトカに着いたときには「これが外国か!」と飛んで喜んだのを覚えています。

アフリカ、エジプト、そして民間での様々な経験

就職活動に際しても、一番先に立ったのは「外国で仕事をしたい」という単純な思いでした。当時は1970年代の学生運動のほとぼりが冷めやらぬ頃で、何となく利益本位の民間で働きたくないという漠然とした気持ちがあったんですが、外国に関わりがあり、公的な仕事をしたいとなるとかなり狭き門ということもあって悩んでいたんです。そうしたら、ゼミの先生が「海外経済協力基金(現JICA)というところがあるぞ」と教えてくれて。これは面白そうだと受けにいったら、対アフリカ円借款業務拡充のためフランス語を喋れる人間を探していたということもあり、運よく合格することができました。

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こんなわけで、海外経済協力基金ではアフリカ局に所属して、アフリカの円借款業務を担当しました。アフリカ地域は当時円借款業務のメインストリームであったアジア地域とは違い、まだまだ、日本との関係が少ない地域でした。逆にそれが仕事に関しては、いい結果をもたらしました。当時は、新人職員は5年経たないと海外出張に行けないのが慣例だったところを、フランス語で仕事をできる職員がいなかったため、自分は2年目から出張することができました。またアフリカには、ナイロビをのぞいて駐在員事務所がなかったので、何もかも自分でやるしかなかったことが、結果的に早いうちからひとりで仕事をこなすことにつながり、色々苦労はしましたが仕事を早く学ぶ事ができました。5年ほど経って、途上国の現場でプロジェクトに関わりたいという気持ちが出てきて、カイロの中近東地区駐在員事務所に駐在することになりました。スエズス運河の復興拡張や世銀、国際金融公社(IFC)と協調融資をしたデキーラ製鉄所などの戦略的な大規模プロジェクトに関わることができました。エジプト政府と交渉し、プロジェクトを成功させていくことは非常に骨が折れましたけれど、おかげで交渉力や粘り強く仕事をする姿勢が身につきました。

それまで、業務部門ばかりをやっていたので、エジプトから帰国後は管理部門をやれということで、総務部で企画や業務監査を担当しました。そこでは途上国プロジェクトのマネージメント専門の民間コンサルタント企業を立ち上げることに関わりました。それまでは官の立場でお金を貸す立場だったのが、民間に出てみたら全くルールが違って、正直戸惑いました。立ち上げてはみたものの、資本金はどんどん目減りする一方で、「会社がつぶれるんじゃないか、つぶれたら自分のキャリアも終わりだ」という思いで朝から晩まで必死に働きました。小さな会社だったのでスタッフも少なく、何から何まで自分でこなさなければなりませんでした。2年目からは何とか軌道に乗って、3年目で黒字に転換し、ほっと胸をなで下ろしましたが、民間の会社がどういう力学で動いているのか、マネージメントコンサルタントとは何かを一から現場で勉強できたことは、自分にとって非常にためになったと思います。

世銀での最初の1年は「クビになるかと思った」

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管理職として会社の設立と運営に関わって3年が経ち、コンサルタントをやってみて専門知識の重要性が分かりました。もっと勉強して経験を積み、自分の専門性を深めたいと思うようになりました。そこで頭に浮かんだのが世界銀行でした。エジプトのプロジェクトで世銀と一緒に仕事をした際に、世銀のチームが色々な専門家から構成されていることが印象に残っていました。また世銀に出向していた先輩もいましたから、世銀の仕事のやり方の話も聞いていました。出向といっても、自動的にいけるわけではなく、世銀側の求める人材の需要と供給者である自分の能力が合致しなければ採用はきまりません。ここでもラッキーなことに、アフリカ地域総局でフランス人ではなくフランス語ができ、かつ開発金融業務の経験のある人材を探していたそうで、マネジメントコンサルタントとして民間部門での経験していたこともプラスに働き、世銀に出向という形で入ることができました。

エジプトでは英語で仕事をしましたし、日本でそれなりに頑張って英語を勉強し、TOEICの点も高かったのにも関わらず、世銀ではいままで聞いた事もない業務の専門用語が飛び交い、様々な国出身の職員の話す英語に慣れるまでに時間がかかり、周りの人が何を言っているのかよくわからなくて困りました。何を言っているのかわからないということは、当然仕事にも支障をきたすわけで、最初の1年はクビになるんじゃないかと気が気じゃありませんでした。商社から出向していた尊敬している先輩に相談したところ、「普通の日本人職員が世銀に入って半年ぐらいで仕事がバリバリできるわけがない、それぐらいはあたりまえで皆苦労しているのだ」と言ってくれて、「それもそうだな」と納得し、がんばろうと気を持ち直しました。

そんなある日、ザイールの工業セクターの案件の交渉があり、世銀を代表して交渉をして英語とフランス語でその議事録をまとめるという仕事を命じられました。「大変だ、自分の能力のなさがこれでバレてしまう…」と蒼白になったんですが、幸い交渉のシナリオがある程度読めたんです。これが右にいったらこうしよう、ああしよう、というように10シナリオぐらい想定問答を作っておいたら、本番でも想定通りに動いたので、2日で交渉を終わらせる事ができました。上司に報告したところ「交渉を2日でまとめたのは、我が課では君がはじめてだ。おめでとう」と予想だにしなかった賛辞をもらいました。これで、新米でも全力投球すればある程度の結果が出せるんだ、という自信がつきました。

いろいろな仕事をしましたが、上司には非常に恵まれました。初めてアフリカの工業案件の出張の際、「まだ経験が足りないからダメだ」と同僚から横槍が入った時に、当時の女性の上司が、他国からわざわざ、ブルキナファソに飛んで来てくれて、大臣などにはもちろん彼女が会うんですけれど、「あなたが仕事ができることは知っているから、後はあなたがやりなさい」と仕事を任せてくれました。そうしているうちに出向期限の3年が経ち、世銀の方から残って働かないかというオファーがありました。自分にはもっと専門性が必要だと感じていたので、MITのマネージメントスクールでファイナンスを勉強させてもらうことを条件に世銀に残る事にしました。今こうして、世銀で20年以上にわたりキャリアを積んでこられたのは、いろいろな方に助けてもらえたおかげです。

「世界が広がっていく」現在の仕事内容

MITから戻って来た後は、ブルキナファソで日本の生産性と品質向上に貢献したQuality Control Circleの民間企業及び公営部門への導入やインドの石炭公社などの大きな国営企業改革プロジェクトを担当しました。金融の知識が必要という事で、インドのタミルナド州の都市基金の民営化を担当する機会を与えられ、都市金融制度と都市問題全般への興味と関心が深まり、それからは都市金融制度のエキスパートとして仕事をしたいという自分の方向性が見えてきました。現在は世銀全体をみる都市ユニットにいて、都市金融制度の研究開発と、開発途上国の都市の環境と経済の持続的な発展の同時実現を支援する「Eco2都市-エコロジカルで経済的な都市(Eco2 Cities: Ecological Cities as Economic Cities)」というプログラムを普及することの2つに取り組んでいます。またノレッジマネジメントと言って国連機関、大学、研究機関、NGO や民間セクターなど、世銀以外の組織と情報を交換したり、都市問題の国際会議に参加し、都市セクターに関する最新の動向、アプローチを調査し、世銀の事業に活かす仕事を行っています。

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Eco2に関しては、本にまとめて出版したところ非常に反応がよく、東京大学工学部都市工学科の大西教授やハーバード大学のケネディスクールが書評に取り上げてくれたり、他の国際機関、NGOや民間企業なども関心を示してくれています。また、インドネシア、フィリピン、ベトナムで、Eco2のパイロットプロジェクトが行われています。このように、自分が考えた戦略や理論を世界中に発信してプロジェクトとして実現していくことが、今の仕事の一番の醍醐味ですね。世銀は大きな金融機関ではありますが、それでも世界全体で言えば世銀の融資規模は微々たるものです。しかし「直接世銀のお金が入らないところにも、世銀の発想によるプロジェクトを広めることはできる」という手応えは、これからにつながる大きな希望を抱かせてくれました。世銀の融資事業ははもちろん大事ですが、世銀の考えている戦略考想を実現するためには、それ以外にも様々な方法があるということです。

今まで世銀というブランドのもとで仕事をしてきて、本当に色々な機会を与えてもらったと思っていますが、永遠に世銀にいられるわけではないので、いつかは世銀を辞めることになると思います。その時に、鈴木博明個人として通用する力を磨いておきたいと今は思っています。「持続可能な都市開発」をライフワークとして、今後ずっと関わっていくつもりです。

「知・情・意・体」の4つを大事に

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若い人たちに言いたいのは、「知・情・意・体」の4つを身につけて欲しいといということです。優先順位で言えば、心を意味する「情」、やる気の「意」、健康や体力を意味する「体」、知識や能力を意味する「知」の順番だと思います。先ずは「情」ですが、開発を目指す人にとって重要なのは、実はごく普通の感覚なんです。人は支え合って生きているのだから、家族や友人や同僚など、まず周りの人を大事にすることが重要なんです。「意」は一度決めた事を最後までやりぬく覚悟です。途上国の事業は矛盾だらけです。学問上の理論だけでは動きません。誰かが泥をかぶる覚悟で進めなければ、目的は達成できません。また、気侯条件の悪い途上国への出張が多かったり、時差に苦しみつつ、多量の文献を英語やほかの言語で読み報告書を作成したり、何日にも渡り交渉をするなど非常に体力を使う仕事でもあります。したがって健康であること、体力をつけることが大事です。私はアメリカに来てから剣道を始めたんですが、どんな運動も継続することが大切です。最後の「知」に関しては、基礎をしっかり学んでおく事が重要だと思います。例えばファイナンスでは、パブリックファイナンスもあればウォールストリートのデリバティブもある。全てを極めるのは無理ですが、例えば簿記も含め会計学から入り企業金融等一つの分野の基礎をきちんと学んでおけば、他の分野にもある程度対応することができます。国際機関で働く場合、もちろん語学は大事です。学生時代に第二外国語も含め、語学の習得に努力して下さい。さらに、内容的に中身があることを言うことも大事です。また、自分の言いたい事を言うだけではなく、様々の立場の違う人を説得しなければなりません、その意味で、分かりやすい論理的なプレゼンの仕方を常日頃から気をつけるといいでしょう。知・情・意・体を心に留め、努力をしていけば、自分のやりたいことの道はきっと開けると思います。開発金融はとてもやりがいのある仕事です、地球上のどこかで皆さんと一緒に仕事を出来る事を楽しみにしています。

 

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