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特集2010年7月27日

小林いずみ 多数国間投資機関(MIGA)長官~第19回 世銀スタッフの横顔インタビュー 特別編

前職は外資系証券会社メリルリンチ日本証券の社長、そして2005年には米ウォールストリート・ジャーナルによる「注目すべき女性50人」にも選ばれた小林MIGA長官。ポジティブでとてもチャーミングな人柄と、組織トップとしての洞察力に裏打ちされた深い言葉の数々、そしてなによりも圧倒的な存在感が印象的だった。ご自身の歩み、そして若者へのメッセージについても熱く語っていただいた。

Izumi Kobayashi

The World Bank

東京都出身。成蹊大学文学部文化学科(現、現代社会学科)卒業。化学メーカー勤務の後、メリルリンチの日本関連会社(メリルリンチ・フューチャーズ・ジャパン)に入社し、デリバティブ市場で活躍。その後、メリルリンチ日本証券株式会社法人顧客グループ業務統括本部長を経て、2001年、メリルリンチ日本証券株式会社代表取締役社長に就任。代表取締役社長に就任後は、10人から1000人以上のグループからなる国際チームと協力しながら、グローバル金融サービス分野で同社の事業発展と顧客の事業開発に大きく貢献した。2008年11月24日、多数国間投資機関(Multilateral Investment Guarantee Agency:MIGA)の長官に就任。2005年10月には、米ウォールストリート・ジャーナルによる「注目すべき女性50人(50 Women to Watch)」に選ばれる。2004年には、ヴーヴ・クリコ社による「ビジネス・ウーマン・オブ・ザ・イヤー」賞を受賞。

普通のOLから外資系証券会社へ

大学を卒業した後は、一般企業で普通のOLをやっていました。4年ほどたち「このままこの会社にいていいのだろうか」と疑問を感じていた頃に新聞の求人広告欄にメリルリンチの募集記事を見つけ、何の会社かもよくわからないまま「面白そうだな」と直感だけで応募したところ、採用され、そして金融の世界に入りました。

ちなみに大学は経済学部ではなく文学部で社会学を専攻しました。よく金融の世界では経済学部卒が主流と考えられがちですが、特にジェネラリストとしてマネジメントの仕事をする上では社会学で学んだことが人や組織を理解するために非常に役立っています。証券会社も世銀も、確かに経済学を学んでいたほうがエントリーレベル(入社段階)では入りやすいかもしれないけれど、専門的な知識の多くは仕事を通じて学習できる。仕事をしていく上で重要なのはむしろ、好奇心を常に持つこと、そして、自分がやっている仕事の意味や全体像の中での位置づけを常に意識することだと思っています。

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メリルリンチでは、やらなければいけないことが山積みで、早朝から深夜までずっと仕事をしているときもありました。もちろん、「もっといっぱい寝たいな」と思うこともたまにはありましたが、「いくらでもやることがある」という状況を楽しむことができました。しんどいと思う瞬間はたぶんあったのだろうけれど、記憶に残るほどしんどいということは…なかったかなぁ。 思うに、自分のやっていることが楽しいと思うことができれば、いくらでも頑張れるのかもしれません。裏を返せば、今やっている仕事がつまらないのだとすれば「その責任の半分は自分にある」と思うべきなのかもしれません。どんな仕事であっても、それなりに面白さは見つけられるはず。同じ状況も、悪い側面からではなく良い側面から見るように心がけたり、全体の枠組みの中で捉えれば、全然違って見えるのではないでしょうか。

まさかの社長就任

メリルリンチでは結局7年間社長を務めていたのですが、そもそも自分が社長になるだなんて当初はまったく思っていませんでした。私は、次期社長の候補者を探す立場だったんですから。それが、候補者選びが難航するなかで「やってみないか」と言われて…まぁ、とりあえずやってみようか、と(笑)。ためらいは、なかったです。

最初の仕事は約3000人いた社員を約半数まで削減する大規模なリストラを行うことでした。非常に大変でしたが、各部門と話し合いながら粛々と進めていきました。

組織の上に立つうえで重要なのは、社員1人1人に対してきちんとしたメッセージを伝えられるように努力しリスクを最小限化すること、そして、その上で残るリスクに対し自分が全責任をとる覚悟を持つこと、だと思います。あとはリスクをかぎ分ける嗅覚、勘ですかね。これはすべからく経験から得るもの。失敗の原因はなんだったのか、どうすれば防げたのかをきちんと学び、失敗を繰り返さない、その積み重ねの中で、少しずつ会得していくものではないでしょうか。

MIGA長官として

社長に就任してあっという間に7年がたち、企業としても成長してきて、そろそろ社長の座を次の人に渡さなければと思っていたところに、世界銀行のお話をいただいたんです。同じく国際的な仕事だけれど、また社会への関わり方が違うので面白いなあ、とすぐに興味を覚え、引き受けることを決めました。

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私が長官を務めている多国間投資保証機関(Multilateral Investment Guarantee Agency:MIGA)は世銀の組織の一部として、世銀グループ内の国際復興開発銀行(IBRD)国際開発協会(IDA)国際金融公社(IFC)等とともに貧困の削減に取り組んでいます。具体的には、様々な政治的リスクに対する保証の提供や資金調達コストの低減などを通じて民間投資を促進することにより、発展途上国の経済的に自立した発展を後押ししています。政治的リスクというと政情不安を思い浮かべる方も多いと思いますが、投資財産の国有化、通貨の兌換停止や送金停止、政府の契約不履行、特恵待遇や許認可等の合意事項の一方的な破棄など、その範囲は多岐にわたります。

民間から国際機関に移ったわけですが、両方とも金融機関ですので、カルチャーショックのようなものは基本的にありませんでした。敢えて違いを述べるのであれば、世銀では、政治のリスクに焦点をあてるという点、そして、結果を出せればあまりプロセスを問われなかった前職とは異なり合意形成のプロセスを重視するという点は、確かに異なっているかもしれません。

正解は「作り上げる」もの

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世銀への就職を希望するのであれば、まずは英語でしょう。これは、国際機関である以上しょうがない(笑)。私は、英語は日本の学校教育でしか勉強していませんでしたから、仕事の中で使いながら覚えていきました。もちろん、最初は大変でした。英語がネイティブな人とそうではない人との差はありますし、議論することが当然という文化が染みついている彼らの勢いにおされてしまうときもありました。そして今でもそれは私にとっての課題です。

とはいえ、言葉は「道具」にすぎません。やはり伝えたい中身、自分の核を持っていることがなによりも重要です。自分がないと、自分自身を前面に押し出さなければいけない、自分を大きく見せなければ不安になる、そして、人のことを聞く余裕がなくなる。逆に、核となる自分を持ち、自分の核に確信を持てれば、他人の意見を聞き、それを受け入れる余裕がうまれる、そう思うのです。

世の中、価値観や考え方は人それぞれです。どれか一つが正解ということはない。優先順位やものを見る角度、そして考える順番すら違うこともある。日本ではとかく皆と意見が同じでないといけない、正解は一つだと思われがちです。でも「正解」とは、そこに「ある」ものではなく、様々な「正解」を持ちよって、みんなで話し合いながら「作りあげる」ものだと捉える柔軟な考え方が必要だと思っています。

ほんとうに英語ができるということは、相手の思考方法や価値観を理解し、その上で、その思考プロセスに当てはめたときに最も理解しやすい表現に変えて、自分の意見を伝えられるということかもしれません。

現実に直面するのは、早い方がいい

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(どのような日本人に入行してほしいか?との問いに)基本的に、元気のいい人にきてほしいです。色々な人の意見をきちんと聞いて、本当に正しいもの、ベストなものを選べる、そんな国際感覚と国際社会の中で日本人として生きていくことへの意識をもった日本人に来て欲しいですね。

最後に、最近の若い人たちへのアドバイスをするとすれば、2つあります。

まず、「みなさんが住んでいる世界というのはとても小さい世界。その小さい世界を前提に将来の自分の可能性を限定しちゃいけない」ということ。学生時代って、実際我々が生きている世界に比べてほんとうに小さな世界でしか生きていない。周りも同じようなひとばかりだと思います。もちろん将来何をしたいのか模索することも重要だけれど、だからといっていま自分が見える範囲の中で決断する必要はないんです。それよりは最初の一歩、より大きな世界への第一歩をふみだすこと、アクションを起こすことが重要なんだ、と思っています。

2つ目は、「最後は一人で生きていくという事実にできるだけ早く向き合い、その覚悟を持つ」ということ。人間はどこかのタイミングから1人で生きていかなければならない、最低自分1人は食べさせていかなければいけない。そして、この事実にどちらにしても向き合わなければならない。そうであれば、先延ばしにしないで早いうちに向き合ったほうが楽だよ、若いときのほうがハードルは低いから、と。そして、それは誰でもができることだから、怖がることじゃないよ、とも。実際私も、メリルリンチ入社7年目に初めてニューヨークに一人で渡り、本部で1年間仕事をしたんですが、そのとき「知らない土地でも自分ひとりでお金を稼いで、生きていけるんだ」と気づいて大きな自信になりました。だから、若い人たちにも、一歩踏み出す勇気を持って欲しい、そう強く思うのです。

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