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八幡製鉄 ~ 日本が世界銀行から貸出を受けた31のプロジェクト

鉄鋼業界最初の世銀貸出


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世銀の貸出により設備の近代化が行われた八幡製鉄厚板圧延設備

1953年の火力発電案件3件(関西電力、九州電力、中部電力)に始まった世界銀行の対日本貸出は、次に鉄鋼業界へと移っていきます。1955年、日本一の鉄鋼メーカーである八幡製鉄が、初の鉄鋼案件貸出となりました。

同社は当時、日本で最も古い歴史をもつアジア最大の鉄鋼会社として、3万6000人の従業員を擁し、130万トン以上の製品鉄鋼の生産量を誇っていました。しかし、日本政府の掲げた船舶を鉄鋼と並んで日本における重点産業とするという方針には、従来の老朽化した厚板設備では対応は難しく、近代的な大型厚板設備が必要でした。そのため、1950年から始まった同社の第一次合理化では、今後の日本造船業を支えるために、能力増強と老朽化した設備の近代化が主眼でした。そして、世銀の貸出を得て八幡地区の既存工場を撤廃し、新厚板工場を建設することが決まりました。実際の工場建設は難産でした。

1953年、アメリカのU・E社との間で機械購入の仮契約は締結されたものの、世界銀行やその他の融資面で交渉は難航し着工が大幅に遅れたのです。1955年10月、世銀の貸出はようやく調印されました。貸出は利率4.5/8%で調印され、1956年2月16日に発効しました。これは輸入機械の支払いにあてるタイドローンでした。1957年6月、突貫工事の末に作業開始した厚板工場は、スタート時の月産能力は35000トンと、日本最大の工場に生まれ変わりました。

新厚板工場には、四重式圧延機を初め、多くの新技術が導入され、船舶の大型化に対応した大寸法化や寸法精度の向上が図られました。圧延関係では、アームコ、USスチール等の技術を導入し、連続化、高速化、高級化等の近代化が図られました。また、このプロジェクトの実施により、鉄鋼・船舶の世界市場における日本の競争力向上も期待されたのです。

1959年11月、ワシントンDCで2件の製鉄案件(富士製鉄、八幡製鉄)の貸出が調印されました。八幡製鉄に対する貸出は、1953年10月に引き続き2回目で、北九州にある戸畑工場の第二高炉建設に2000万ドルが提供されました。当時八幡製鉄は、同社の第二次合理化計画に沿って、増大する鉄鋼需要に対応するため、八幡地区から戸畑地区に主要部門を移し、銑鋼一貫製鉄所の建設を決めました。戸畑製造所建設により、八幡製鉄の生産は、銑鉄が210万トンから340万トン、溶鋼が280万トンから525万トンに増加することが見込まれました。理想的なレイアウト、オートメーション化された臨海一貫製鉄所であった戸畑製造所は、日本鉄鋼業の「モデル工場」でした。この戸畑建設の模様は、岩波映画による映画「海に築く製鉄所」として記録がのこっています。

 

プロジェクトデータ

調印日: 1955年10月25日
受益企業:八幡製鉄(1次)
対象事業:厚板圧延設備
貸出額:530万米ドル

調印式:1959年11月12日
受益企業:八幡製鉄(2次)
対象事業:戸畑工場1,500トン高炉二基
貸出額:2000万米ドル

 

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左:戸畑工場 高炉、右:空から見た戸畑工場

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戸畑工場全景

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1959年、ワシントンで行われた八幡製鉄、富士製鉄の2社に対する貸出の調印式:(後列左から)小島新一八幡製鉄社長、永野重雄富士製鉄社長が出席した。