特集2026年5月18日

松木大成(まつき たいせい)世界銀行 東アジア・太平洋地域総局 上級気候変動専門官~第72回 世銀スタッフの横顔インタビュー・後編

設置されたばかりのカーボンファイナンスユニットに出向し、未知の世界に飛び込む形で世界銀行に入行。今ではカーボンプライシング及びカーボンマーケットの専門家として、東南アジア諸国のカーボンプライシング及びカーボンマーケットの制度設計及び実施を支援しているが、そのキャリアは一本道ではなかった。「人との信頼関係の築き方」「多様なステークホルダーとの調整力」「相手国の現実に根差した感覚」を大切にしてきたその道のりを前編・後編の二部にわたって振り返る。

Taisei Matsuki

Taisei Matsuki(松木大成)
シンガポール駐在。気候変動政策(特に緩和および炭素価格設定)および気候ファイナンスに関して、東アジア・太平洋地域(インドネシア、ラオス、マレーシア、フィリピン、タイ、ベトナム)、東ヨーロッパ・中央アジア地域、南アジア地域、中東地域、アフリカ地域において20年以上従事してきた。国際金融機関による融資業務やODA融資、プロジェクトファイナンス、コーポレートファイナンスなどの公的ファイナンスに17年以上携わってきた。世界銀行、欧州復興開発銀行、国際協力銀行での経験を有し、これまで担当してきた分野は農業、エネルギー、石油・ガス、運輸セクターと多岐にわたる。現在は、マレーシア、フィリピン、タイにおける炭素価格設定および炭素市場開発に関する業務を主導する。イエール大学で開発経済学修士号、東京大学で国際関係学学士号を取得。

後編
 
(インタビュー前編はこちら)

上級気候変動専門官の仕事とは

2023年にシンガポールに異動し、現在は東アジア・太平洋地域総局環境グローバル部門の上級気候変動専門官として、東南アジア各国を飛び回りながら業務を行っています。

松木大成 世界銀行 東アジア・太平洋地域総局 上級気候変動専門官
マレーシア・サラワクの会議にて。
具体的な仕事の内容としては、マレーシア、フィリピン、タイ、インドネシア、ベトナムの各国政府に対して、カーボンプライシング政策の設計・実施を支援するアドバイザリー業務が中心です。カーボンプライシング(炭素排出に価格をつけることで、企業等が排出量を減らすよう経済的なインセンティブを与える政策手段)と一口に言っても、国内排出権取引市場(ETS)、炭素税、国内カーボンクレジット取引制度など、様々な政策手段があるため、各国の政治経済的な文脈や産業構造、財政状況に応じて、どのような制度が最も実効性を持つかを各国政府とともに考えながら、制度設計から法整備、実施体制の構築に至るまで幅広くお手伝いしています。また、パリ協定第六条に基づく国際カーボンマーケットへの参画支援も重要な業務の一つで、各国が自国の削減目標を達成しながら国際市場に適切に関与できるよう、交渉の場でのアドバイスや制度設計も支援しています。

日々の業務の特徴の一つは、非常に多様なステークホルダーとの連携が常に伴う点です。借入国の複数の政府担当者(財務省、環境省、エネルギー省、工業省など)との協議を重ねつつ、同時に世界銀行内の国別チームや関連グローバル部門との調整も欠かせません。さらに、アジア開発銀行やUNDPなどの他の開発機関、民間セクター、そして国内外の研究機関とも緊密に連携しながら、根拠・実証に基づいた政策提言を行うことが求められます。

シンガポールは、東南アジア各国へのアクセスが極めて良く、各国の首都にほぼ直行便で数時間以内に移動できるので、各国政府との対面での協議や現地調査にも機動的に対応できるのが大きな強みです。シンガポール自体がASEAN地域における金融・政策のハブとしての機能を持ち、地域全体の気候変動政策の動向をいち早く把握できるという利点もあります。

こうした業務の中で、近年特に注目しているのが日本とのパートナーシップの深化です。日本は官民一体となって気候変動政策に積極的に取り組んでおり、対外的にはアジア・ゼロエミッション・コミュニティ(AZEC)イニシアティブを通じてアジア各国の脱炭素化を支援するとともに、2026年4月からはGX―ETSと呼ばれる国内排出権取引制度も本格的に開始しました。こうした日本の政策的な動きは、制度設計の実例という意味でも、また国際カーボンマーケットの発展への貢献という意味でも、途上国のカーボンプライシング政策の形成にとって大変参考になるものです。世界銀行としても、日本のこうした取り組みとの連携・協力をさらに深めていくことを視野に入れており、私自身もその橋渡し役の一端を担えればと考えております。

政策文書の中に刻まれた私たちの仕事が変化を生み出す

私の業務はインフラ整備や農業開発とは異なり、カーボンプライシング・マーケット関連政策の実現や法制度整備を通じて世の中の仕組みや流れを変えていく仕事です。道路が開通した、橋が架かった、灌漑設備が整って農村の生活が変わった、といった目に見える成果はありません。私たちの仕事の成果は法律の条文の中に、あるいは政府の政策文書の中に刻まれるものです。地味に映るかもしれませんが、各国で関連法案が成立し、カーボンプライシング制度が実際に動き始めると、温室効果ガスの排出削減という「目に見えない変化」が社会全体に広がっていきます。制度や仕組みが変わることで社会全体に及ぶ影響は非常に広く、長く続くものだと信じており、これが仕事の醍醐味でもあります。

一方で、この仕事ならではのチャレンジも少なくありません。気候変動対策の効果は即効性がなく、その恩恵は将来世代に帰するものである一方、コストは今を生きる人々や企業が負担しなければなりません。そのため、気候変動政策の意義に対して懐疑的な見方をされる方や、この課題に踏み込むことに難しさを感じている政府関係者や産業界の方々に出会うことも、決して珍しくはありません。

松木大成 世界銀行 東アジア・太平洋地域総局 上級気候変動専門官
クアラルンプールでの会議にて
そういう時に大切なのは、こちらの論理や理念を一方的に押しつけるのではなく、まず相手の関心や懸念に真摯に耳を傾け、その立場に寄り添った形で政策の意義を説明することだと思っています。例えば、財務当局に対しては、カーボンプライシングによって生み出される新たな財政収入や、グリーン投資を通じた経済活性化といった財政へのプラスの影響を中心に話します。エネルギー省に対しては、再生可能エネルギーへの移行を促すことによる中長期的なエネルギー安全保障の強化という観点から説明します。そして工業・産業省や産業界に対しては、グローバル・プロダクト・チェーンの構築が進む中で、カーボンプライシング制度を持つことが、当該国の輸出競争力の維持・強化につながるという観点を前面に出します。同じ政策であっても、相手によって「刺さる言葉」は全く異なります。その使い分けを積み重ねながら、関係各省や民間セクターの理解と支持を少しずつ広げていく。この地道なプロセスこそが、この仕事の核心だと思っています。

そうした粘り強い対話と、実証的な研究・分析の積み重ねが実を結ぶ瞬間の喜びは格別です。ベトナムでの国内排出権取引市場の導入を可能にする環境保護法の改正でも、何年もかけて各省庁との協議を重ね、法律の条文一つ一つについて議論を積み上げてきた末に、ついに法改正が成立したと聞いた時の達成感は、言葉では言い表せないものがありました。

また今も、マレーシアやタイで気候変動法案の閣議決定が実現し、議会上程の準備が進むのを大変感慨深く見守っています。当初は「時期尚早ではないか」「産業界の理解が得られない」といった声が少なくなかったのですが、粘り強い対話と分析の蓄積を通じて、各国政府が自らの意思で法制度の整備に踏み出すところまで来ています。カーボンプライシングという「目に見えない仕組み」が、各国の法律として社会に根付いていく瞬間に立ち会えることは、この仕事をしていて本当によかったと思える経験です。

先人が築いた日本人への良いイメージは小さくない強み

同僚や自分の国籍を意識することはそれほど多くなく、その人がどういう人物で、何を大切にしていて、どういう働き方をするのか、ということの方がずっと重要だと感じています。日本人でも本当に多様な方がいらっしゃいます。一方で、世界銀行の同僚や相手国政府の方々の前では、自分が意識するかどうかにかかわらず、相手は私を「日本人の松木」として見るため、彼らが日本人に対して抱くイメージが、良くも悪くも自分への第一印象に影響することは避けられません。

そう考えると、「細やかさ、礼節、粘り強さ、勤勉、律儀、時間厳守、合意形成を重んじる姿勢」といった、先人たちが長年かけて築いてきた日本人へのポジティブなイメージは、本当にありがたいものだと思っています。こうした特質への信頼感は、国際的な交渉の場においても、初対面の相手との信頼関係を比較的早く築くことを助けてくれることが多いです。もちろん、最終的には個人としての実力と誠実さで勝負するのですが、その入り口を少し広げてもらえるというのは、やはり小さくない強みだと感じています。

特に東南アジアでは、それに加えてもう一つの好意的な先入観、つまり「同じアジア人として、自分たちの政治・社会・文化的な背景をより深く理解してくれるはずだ」という期待感が働き、信頼を寄せていただけることがあります。カーボンプライシングという、各国の政治経済・産業構造と深く絡み合う政策テーマを扱う上では、この「文化的な近さ」が、相手国の担当者と率直な対話をするための土台になっていると感じる場面が少なくありません。

また私自身の強みを挙げるとすれば、まず一つは、日本の政府系機関での長年の実務経験を通じて身についたプロジェクト遂行能力、つまり設定した目標の実現に向けて、与えられた時間・予算・人的リソースの制約の中で、着実に成果を出していく力があると思います。国際機関の仕事は自由度が高い反面、自律的に優先順位をつけ、複数のステークホルダーを束ねながら前に進めていく力が求められます。日本での実務経験がその基盤になっています。

松木大成 世界銀行 東アジア・太平洋地域総局 上級気候変動専門官
ソウルの国際会議にて
それから「最後はなんとかなるさ」という人生観も強みの一つだと思っています。開発の仕事は思い通りに進まないことの連続で、政治情勢の急変や、交渉の停滞、法案の棚上げなどは日常茶飯事です。それでも「いつかは動かせる」という感覚を失わずにいられるのは、自分の支えになっています。加えて、「人は変えられない、だから自分が変わるしかない」という割り切りも、長年の実務の中で自然と身についた考え方です。相手を変えようとして消耗するよりも、自分のアプローチや伝え方を変える方が状況を動かす。そのことに、経験を重ねる中で気づかされてきました。

最後に、新しい知識や経験を学ぶことを純粋に楽しいと思える気持ちが、自分の中でずっと続いていることも、大切な強みではないかと思っています。カーボンプライシングという分野は、経済学から法律、工学、データサイエンスに至るまで、常に新しい知識のアップデートが求められる分野です。それを「大変だ」と感じるよりも「面白い」と感じられる気質が、この仕事を長く続けてこられた一つの理由なのかもしれません。

地球環境と人々の暮らしを守ることに貢献し、その誇りと情熱を次世代へ引き継いでいく

気候変動と開発の交差点において、より大きなインパクトを生み出していくことが、今後の目標です。

東南アジア諸国における気候変動政策の動きは、ここ数年で急速に加速し、今まさに重要な局面にいるという実感があります。今後はこれまで積み上げてきた経験をさらに深化・拡大させながら、各国の国内排出権取引市場(ETS)、炭素税、カーボンクレジット制度、そして国際炭素市場への参画支援といった分野における専門的識見をさらに磨いていきたいと考えています。各国が自国の政治経済的文脈の中で実効性のある制度を設計・運用できるよう、より精度の高い支援を提供していくことが、当面の具体的な目標です。

松木大成 世界銀行 東アジア・太平洋地域総局 上級気候変動専門官
2026年、バンコクにてタイ工業連盟と協議中
カーボンプライシングという分野は、制度が一度導入されれば終わりというものではなく、社会・経済の変化に応じて絶えず改善・進化させていく必要があります。東南アジア諸国でも、法制度の整備はゴールではなくスタートラインに過ぎません。制度が実際に機能し、温室効果ガスの排出削減という本来の目的に向けて着実に成果を上げていく過程で、引き続き伴走していきたいと思っています。

また今後は、次世代の専門家の育成にも貢献していきたいと思っています。私自身のキャリアも、様々な方々からのアドバイスや機会があってこそでした。今度は自分が次の世代に対してその役割を果たしていきたいという思いが、年を重ねるごとに強くなっています。メンタリングや知識共有を通じて、次世代がこの分野でより大きなインパクトを生み出せるよう、積極的に関わっていきたいです。

情熱とクライアントのニーズに真摯に向きあい、焦らず着実にキャリアを育ててほしい

開発の世界を目指す上で、最初から完璧な専門家である必要はまったくありません。私自身、他機関で15年間実務を積んだ後に世界銀行に入行しました。

そのうえで皆さんにお伝えしたいのは、専門性と柔軟性の両立が大切ということです。学び続けることは大前提として、実務を通じて磨かれる「信頼関係の築き方」「ステークホルダーとの調整力」「相手国の現実に根ざした感覚」、そして何より、クライアントが本当に必要としているものを深く理解し、誠実に応えようとする姿勢も重要です。机上の論理だけでは政策はなかなか動きません。一つひとつの実務を丁寧にこなしてこそ、知識は「使える力」となります。

次に、問題解決を仕事の中心に置いてほしいということです。クライアントである各国政府や関係機関が抱える課題は、一つとして同じものはありません。相手のニーズを正確に把握し、現実の制約の中で何が最善かを粘り強く考え抜くことが大切です。ベトナムの環境保護法改正なども、各国の政治経済状況をしっかり理解した上で、クライアントとともに答えを探り続けた積み重ねの結果です。

松木大成 世界銀行 東アジア・太平洋地域総局 上級気候変動専門官
2026年、クアラルンプールにて工業副大臣との懇談時
そして、世界銀行への入行を人生のゴールとして捉えるのではなく、一つの選択肢として考えていただければと思います。経験と実績を重ねた先に、世界銀行という選択肢が自然と視野に入ってくる、そういうキャリアの積み方が大きな強みになります。家族をはじめ、人生のさまざまなイベントを経験した上で、自分の意思で選ぶものであっていいと思います。

最後に、私の長男が幼い頃、「パパはウルトラマンみたいな仕事をしているんだね」と言ってくれたことがあります。地球環境と人々の暮らしを守る仕事を、子どもにそう表現してもらえたことが、今でも忘れられません。情熱と真摯な姿勢を持ちながら、着実に自分のキャリアを育てていけば、いつか皆さんにとっての「ウルトラマンのような仕事」につながっていくはずです。

 

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